UNI-SQUARE
あのひとの新人時代 第3弾
アルバイトから始まり取締役へ 20年超のキャリア
不動産の飛び込み営業で学んだ “へこたれない”心

UNI-SQUARE 2月号は大好評の『役員たちの新人時代』第3弾をお届けします。今回登場するのは、ナチュラリープラス日本で20年以上カスタマーサポートを支えてきた本多さんと、ユニヴァ・ペイキャストを率いる中尾さん。一人はアルバイトから始まり取締役へ、一人は不動産営業から決済業界へ。まったく異なる道を歩んだ二人の新人時代を一緒に目撃しましょう!
本多 範子
ナチュラリープラス日本 取締役
カスタマーサポート部部長
中尾 周平
ユニヴァ・ペイキャスト 代表取締役社長
「東京・青山」がつなげた20年超の縁

短大を卒業した後も、自分の進む道を決められなかったという本多さん。
しばらくは(本多さん曰く)“ふんわりとした日々”を過ごしていたそうです。転機が訪れたのは2002年。「青山で仕事を探そう!」と急に思い立ったと言います。
「当時ナチュラリープラスの子会社だったNPコミュニケーションズに、事務担当のアルバイトとして入社しました。まさか20年以上も関わることになるとは夢にも思いませんでした(笑)」
本多さんが入社した当時の職場環境は、今では想像しにくいほど混沌としていたといいます。
「当時は、青山の雑居ビルのワンフロアに、社員とアルバイト合わせて15名ほどが働いていました。12、3台の固定電話は常に着信があり、1日数千件をオペレーターが対応していました。AIはもちろん、ネット注文すらない時代です(笑)。手続きは電話、郵送、FAXのいずれか。書類は全て“紙”ですから、毎日段ボール単位の量に対応しなくてはならなくて。残業なんて当たり前。まさに毎日が"戦い"でした」
それでも若いスタッフの活気にあふれ、忙殺されながらもどこか前向きで、勢いのある空気があったそうです。入社から8カ月後、泉ガーデンタワーへ移転したことを機にオペレーターを増員。体制も整いようやく「コールセンターらしく」なりましたが、決して順風満帆とはいきませんでした。
拒絶し続けた仕事が変えた運命

「とにかく全てが手探り状態で、急成長に体制がまったく追いついていきませんでした。電話をさばきながら、段ボールにぎゅうぎゅうに詰め込まれた書類を処理し、ランチに出られない日も珍しくありませんでした。電話受付時間の終了後には、SV(スーパーバイザー、以下SV)とスタッフ育成について議論しましたね。議論が加熱し『お店のラストオーダーに間に合わない!』と慌てて会社を出ることもしばしば」
“働き方改革”や“ワークライフバランス”なんて言葉や概念もない時代。毎日10時、11時過ぎまでの残業は当たり前で、決して楽な職場ではありません。さらに、当時は子会社の社員だったこともあり、急成長の恩恵を感じることもなかったとか。何が本多さんをそこまで頑張らせていたのでしょうか。
「現場を何とか回そうと思っていましたし、もっと良いサービスを提供するにはどうしたらいいかを、私だけではなく社員全員が必死に考えていました。あの空気は、今でも強く印象に残っています」
そんな本多さんにSV昇進の話が持ちかけられました。もちろん二つ返事で快諾したと思いきや・・・!
「実は私、『お客様の電話には出ない』前提で入社したんです。それまでもSV昇進の話は何度かいただいていたんですが、その都度お断りしていました。でも、この時は本当に迷って、迷って・・・、最終的には『合わなければ辞めよう』と自分を納得させ、正社員としてSV業務に挑戦することにしたんです。結果的に、この選択がこの会社に関わり続ける一番のきっかけになりました」
こうして本多さんはマネジメント未経験ながら10名ほどのチームを受け持ちました。オペレーターからの質問に答えながら、業務研修、人材育成、エスカレーションによる二次対応や面談、評価などのマネジメント業務を行ったのです。
NAKAMAに今 伝えたいこと

マネジメント経験のない本多さんが、現場で学んだチームマネジメントの極意を教えてくれました。
「SV業務を通じて強く感じたのは、“チームの雰囲気が成果を左右する”ということです。つまり、チームの雰囲気はリーダーの姿勢や空気感が作っているんですよね。自分がどう向き合うかで、同じメンバーでも結果が変わるんだということを当時は感覚的に学びました」
座右の銘が「自分を通した考えを言葉にする」という本多さん。
「正論や一般論をなぞるのではなく、これまでの経験や価値観を持った自分の頭と心を通して、どう考えるのかを言葉にすることが大切だと思っています。人が集まって議論する意味は、そうした一人ひとりの個性ある言葉が交わされることで“新しい何か”が生まれ、それが会社にとっての大切な財産になるのだと思います」
最後に、NAKAMAの皆さんへのメッセージが届きました。
「思いもよらない仕事を任されたとき、最初から拒否せず、まずは挑戦してみてほしい。その一歩が、思いがけず成長させてくれることもあるのだと思います」
“不適切にもほどがある!” 昭和の不動産営業

芝浦工業大学システム工学部を卒業後、大倉建設(現:HESTA大倉)に入社した中尾さん。配属されたのは営業部で、分譲マンション・戸建て住宅の営業を担当。そこで待っていたのは、今では考えられない「昭和」な職場環境でした。
「朝8時に出社すると、みんな自分の机で葉タバコを吸いながらデスクワークしているんです(笑)。当時はセキュリティも非常に甘くて、社外の人も入り放題。いろんな会社の生保レディ(保険会社の女性営業)が入ってきて、よく保険の営業をされたり、飴玉をもらったりしましたよ」
毎日8時半にマンション、もしくは分譲地周辺へチームで車移動。その後担当地区へ回り飛び込み営業、そしてアポイント先宅を訪問、またはモデルルームを案内。時にはモデルルームから近隣宅に架電営業も。毎日6時〜7時に会社に戻り解散という日々が続いたそうです。
「休みは月に3日くらい。でも、上司、先輩、後輩関係なく仕事が終わった後によく飲みに行きましたね。給与はよかったので、お金だけはよく貯まりました(笑)ただ、プライベートが充実しているという感覚は全くなかったです」
新人時代の忘れられないエピソード

「ある日、ちょっと世間では怖いとされる事務所に間違えて飛び込み営業してしまったことがありました。あの時は、さすがに怖かったです(笑)。営業テリトリーのマップをチェックしたつもりだったのですけどね。あとは、横須賀で分譲マンションを販売していた時に、独身向けの投資マンションとして比較的高収入の安定した自衛隊寮と看護師寮を中心に営業をかけたことがありました。金融機関の信頼も高く住宅ローンも組みやすかったため、かなり高い率で契約となりました。そのマンションの3分の1近くが自衛隊員や看護師の入居となり、ちょっとしたコミュニティが生まれました。後に同僚から聞いた話ですが、このマンションの中で3組ほど結婚したそうです!」
その不動産営業の経験から色々勉強になったと中尾さんは振り返りました。
「お客様の考え方や、自分とは違う考え方をどのように理解すればよいかを多くの人から学ばせていただきましたね。また、販売においては不動産ローン審査などを多く扱っていたので、金融的要素も学ぶことができました。あとは、少々のことではへこたれない忍耐ですかね(笑)。まあこれはこれで問題もありましたけどね」
NAKAMAへのメッセージ

中尾さんの座右の銘は「探求し、歩み続ければ未来は拓かれる」と「弱気は最大の敵」のふたつ。そんな中尾さんから若い社員と“若くない”社員にむけて、メッセージをお預かりしました。
若い皆さんへ
常に行動、行動が多ければ多いほどそれだけチャンスが生まれます。生まれたチャンスは若いうちはみなが支えてくれます。何もせねば成功は生まれない。行動量が経験量に比例する時期、どれだけできるかが今後のキャリアを形成します。探求し歩み続けること!
“若くない”皆さんへ
時代の変化スピードはこれからさらに加速します。トレンドを逃さず常にあらゆるところから情報を得て理解することが必要です。ふとしたもの、自らが直接かかわらない情報や若い方が注目している情報も我々のビジネスのヒントになることが多くあります。様々な環境と人から直接情報を得て、常に自身をアップデートすることを忘れずにいてほしいです。
本多さん、中尾さん、この度はありがとうございました!